先日2月27日午前5時31分ごろ、沖縄本島近海を震源とする地震があり、沖縄県糸満市で震度5弱を観測しました。気象庁によると、震源は那覇市の東約50キロ付近で震源の深さは約10キロ。地震の規模を示すマグニチュードは6・9と推定されると発表されました。沖縄本島は、比較的地震活動が少ない地域で震度5以上の強い揺れが観測されたのは1911年以来99年ぶりとの事です。県からの情報では、27日午前11時半現在、この地震でベッドから床に転落した那覇市の女性(74)と自宅で転倒した浦添市の女性(66)の計2人が病院に搬送されましたがいずれも腰の打撲など軽傷だという事です。また、うるま市教育委員会によると、世界遺産にも登録されている同市の勝連城跡の石垣の一部が、幅7メートル、高さ6メートルにわたり崩落してしまったようです。
この一世紀、震度5以上の大きな地震がなかった沖縄では、ほとんどの県民は「地震災害は、内地での事」と完全に油断をしていた事でしょう。行政機関や学校、病院などの公共施設では、経験したことのない対応に戸惑い情報収集にも遅れがあった様です。翌日の津波警報に対する各行政機関の対応も非常に遅く、住民への通報は不十分でした。しかし、歴史的にみても沖縄でも過去に大きな地震は起こっています。直近の大きな地震は、1911年6月15日午後11時25分と1909年8月29日午後7時30分の沖縄本島で起こった地震。震度は定かでありませんが、1909年には死者2名、負傷者13名、石垣崩壊1021ヶ所、家屋全壊7戸、半壊9戸の被害を出しており、1911年には死者1名、負傷者6名、那覇市内の石垣崩壊318ヶ所に及んでいます。双方とも震度5以上であっただろうと言われています。地震の揺れよりも恐ろしいのが津波です。四方を海に囲まれた沖縄では、地震そのものより、むしろその後に来る津波の被害のほうが甚大になるといえます。1771年の有名な明和の大津波(乾隆大津波)は先島を中心に1万人以上の死者を出しており、これを機に八重山の人口は激減し、その後、王国滅亡まで、ついに津波以前の水準に回復することはありませんでした。
沖縄での自然災害は、進路が予測出来る「台風だけ」との油断があります。地震のような突発的な災害に対する訓練が全く出来てないのが現状です。今回の事を教訓にして「備えあれば憂いなし。」を実践しましょう。